薪か小枝か
2022年07月28日
実は今年のはじめ
そう1月
フルサイズのミラーレス一眼を買ったのだ。
大昔のAPS-C機から大きくジャンプ。
いや中くらいのジャンプ。
とはいえ、。もちろん
プロ仕様な機種ではない。
しかしだ、。
どうもしっくりいかないのだ。
好きな写真が撮れなんだ。
もちろん画質はいいのだ。
なので結局
レトロなカメラの登場頻度が
相変わらず高い。
そう1月
フルサイズのミラーレス一眼を買ったのだ。
大昔のAPS-C機から大きくジャンプ。
いや中くらいのジャンプ。
とはいえ、。もちろん
プロ仕様な機種ではない。
しかしだ、。
どうもしっくりいかないのだ。
好きな写真が撮れなんだ。
もちろん画質はいいのだ。
なので結局
レトロなカメラの登場頻度が
相変わらず高い。
いろいろと考えてみた。
私は商業写真を撮るプロではない。
商業写真であれば高画質は必須。
そしてミラーレスの時代。
キャノンであればプロ仕様なR3 R5
もちろんレンズも良きものになるだろう。
動画であれば圧倒的に
ソニーのミラーレス
αシリーズの方が多いこの頃。
キャノンユーザーの私は
R5は届かなくても
R6は正直欲しい。
なのに何故にしっくりこないのか。
とはいえ私が面白さを感じるのは
どちらかと言えば
写真表現なのだと。
写真表現は必ずしも
カメラの良さが必須ではない。
もちろん良きには決まってはいるが
そればかりではない良さがある。
どちらにしても
ぼかす写真を撮っていては
写真の上達は無いというところ。
商業写真の構図力にしても
写真表現の表現力にしても
ぼかしていてははじまらない。
パンフォーカス
F値と距離を意識した訓練をしつつも
相変わらず初心者を抜け出せていないこの頃。
なぜならば
日々できているとすれば
テーブルフォト
作った世界。
その中にも商業写真とは違う
オモシロさを表現したい。
スポットライトをあびた
綺麗をより美しく
ひたすら綺麗な写真が撮りたいワケではないのだと。
それはその美しい人や
その美しい物を作った人が
凄いだけなのだと。
撮る者の表現とは違うのだと。
であれば最強ではないか。
作る者と撮る者
作る事と撮る事。
私は私が作るパンと写真がともに
私にしかできない表現方法の一つだと
思うようになった。

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